パリの「ポンデザール」
ポンデザール(芸術橋)は、ただの橋ではありません。フランス学士院とルーヴル美術館をつなぐこの橋は、歴史的にもロマンチックなスポットとして親しまれています。その魅力的な場所に隠された物語をご紹介します。
ポンデザールの歴史 📚
時を超える歴史
ポンデザールは、1801年から1804年にかけて建設されました。パリ初の金属製橋で、空中庭園のように設計されていました。建築家ルイ=アレクサンドル・ド・セサールとジャック・ヴィンセント・ド・ラクロワ・ディロンによって作られた橋には、当初9つの鋳鉄アーチがありました。その名前は、第一帝政期にルーヴル美術館が「宮殿芸術館」と呼ばれていたことに由来します。
19世紀には、この橋を渡るのに通行料が必要でした。バルザックの小説『ラブイユーズ』にも描かれているように、当時は歩行者から2スー(銅貨)の料金を徴収していました。しかし、このシステムはすぐに廃止され、橋は誰でも自由に利用できるようになりました。
ポンデザールの再建 🏗️
再建と変化の物語
長い年月の間、ポンデザールは様々な試練に直面しました。特に、戦争による爆撃で構造が弱まり、1979年には貨物船との衝突で一部が崩壊してしまいました。1981年から1984年にかけて再建された新しい橋は、元のデザインを忠実に再現しつつ、アーチの数を7つに減らしました。新しいポンデザールは、当時のパリ市長ジャック・シラクによって再び開通されました。
芸術と愛の舞台
ポンデザール、その特別な雰囲気で多くの人を惹きつけています。観光客、写真家、アーティストが集まり、セーヌ川の素晴らしい眺めを楽しんでいます。画家たちはここでインスピレーションを得たり、夏にはピクニックを楽しむ人々の姿も見られます。

さらに、有名な「愛の南京錠」の伝統で知られていました。世界中のカップルが橋に名前入りの南京錠をかけ、鍵をセーヌ川に投げ捨てることで永遠の愛を誓いました。
しかし、2014年には南京錠の重みで手すりが崩壊。パリ市は橋を守るため、南京錠を撤去しました。
2024 パリオリンピック 🇫🇷
音楽とイベントの新たな舞台
最近では、2024年パリオリンピック開会式で注目を集めました。アーティストのアヤ・ナカムラが共和国警備隊と共にここでパフォーマンスを披露。「Djadja」や「Pookie」のヒット曲に加え、フランスの名曲も歌い上げました。橋は活気あふれる音楽ステージに変わりました。このパフォーマンスはSNSで話題となりました!ポンデザールは「アヤ橋」として新たな愛称を得ました。
ポンデザールの見どころ 👀
訪れるべき名所
ポンデザールは、今もなおパリの象徴的な場所です。セーヌ川の眺めを楽しんだり、ロマンチックな散歩をしたり、その独特な雰囲気に浸るために多くの人が訪れます。
パリに来た際は、ぜひこの伝説的な橋を渡ってみてください。なぜパリ市民と訪問者の心に深く刻まれているのか、きっとその理由がわかるでしょう。
ポンデザールの周辺 📍
徒歩で行ける場所 🚶
- 👉 セーヌ川 (La Seine)) 徒歩 0分
- 👉 ルーヴル美術館 (Musée du Louvre) 徒歩 1分
- 👉 オルセー美術館 (Musée d’Orsay) 徒歩 15分
- 👉 パレロワイヤル(Palais Royal) 徒歩 15分